富士屋ホテルと鯉の夏

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普段から、わたしは落ち着きがなくて困っているのだが、箱根の富士屋ホテルでもやっぱり落ち着きはまったくなかった。

箱根の富士屋ホテルは、1878年に創業した箱根の宮の下にあるホテルである。

江戸時代末期に生まれた創業者の山口仙之助という人は、明治の世になって個人的にアメリカに渡り、数年ののち、貯めたお金で7頭のホルスタインを買って、船で一緒に日本に帰ってきた。牧畜が、これからの日本で成長分野だと考えてのことだそうだけれど、実際にはなかなかうまくゆかなかったところへ、駒場にあった農学校から研究のために牛を買いたいという話があって、アメリカから連れてきためずらしい牛たちは高く売れた。のちにそのお金を元手に外国人向けの富士屋ホテルを開業することになったそうだが、その前に、彼は慶応義塾に入学する。学生の彼に、学問ではなく実業の世界を勧めたのは福沢諭吉であったという。

1878年に宮の下に富士屋ホテルを始めてからは、自家用電灯をつくったり、温泉村の村長になったり、自分たちで道路をつくったり(現在の国道一号線)、水力電気事業を始めたりしたそうだ。

「牛連れて帰ろう!」「道路作ろう!」ってこれだけ書くとなんていうか明るくほがらかで瑞々しい感じがするが、いざ実行するとなると頭が別のことを考えはじめてしまう(わたしの場合)。

いや、ここ(アメリカ)から日本に牛を連れて帰るのはなかなかお金もかかりそうだし、ずっと船のなかじゃ牛たちも居心地が悪いだろうから、そうだな、やっぱりこのお金で牛を買うんじゃなくて、牧畜業の参考図書とお土産を買い足して、記念写真を撮って、あと船室もひとつ上のクラスに変更しちゃおうかしら、どうにもそれが良い気がしてきたなあ、とか。

うーん、確かに交通の便を改善すれば客足はぐんと伸びるだろうし、荷物の運搬も楽になる。でもなァ、道路を開墾するってどうかなァ、昔ながらの風情がなくなっちゃうんじゃないかって旅館から苦情がくるかもよ。そう考えるとなんだか今のままで良いような気がしてきたよね、逆にね。辿りつくまで大変だと辿りついた時の喜びはひとしおだよね。どう、これ、あたらしいポスターに書こうか(広報担当の方を見ながら笑みを浮かべて)、とか。

しかしながら仙之助さんはアレコレ決断して実行して、息子や娘婿にホテル経営を引き継いで、この世を去った。その後、富士屋ホテルは増築や新館の竣工、ゴルフ場を作ったり、三代目の山口正造氏は『万国髭倶楽部(International Moustache Club)』を創立したり、戦争中は連合国外交官たちを軟禁したり、戦後は連合国に接収されたりしたのち、1954年に通常の営業を再開して、2016年の夏のある日にのんきなわたしも宿泊をすることができたのでした。

それで今回富士屋ホテルにおいても落ち着きがなかったわけは、気になるものがあっちこっちにたくさんあって、自動販売機の置いてある小部屋の、自動販売機の後ろにドアらしきもののあるのを見つけては、さて、この部屋とあの部屋は昔はなんの部屋だったのかとか、「POSTAGE STAMPS ON SALE HERE」という手書きの案内看板を見ては、昔はさぞかしたくさんのポストカードが売られていて、ここからいろんな国へ旅立っていったのかしらとか(ヘレン・ケラーはアメリカにカードを送ったかしら)、部屋の入り口のドアノブがいままで生きてきた中で一番高いところにあり、自身のサイズ感でこれまで抱いてきたドアノブのあるべき位置像への思いこみに気づかされたり、庭の木になっているきれいな色の実のことが無性に気になったり、増築のさいに生まれたのだろうか、部屋と部屋のあいだの細長い廊下に入りこんでみたくなったり、別になにを書くわけでもないけれどもロビーにある書きもの机に座ってアレコレ空想してみたり(空想のなかでわたしはホテルに2週間ほど滞在しているので、現実のわたしよりもだいぶ落ち着きがある)、室内プールにも屋外プールにも行ってみたいしでも部屋でゆっくりすごしたいし、朝食は楽しみだし、朝食がはじまったら今度は食器のことが気になるし(なんといっても金色の砂糖つぼやミルク入れが歩きだしそうなのである。ディズニー映画の『王様の剣』に出てくる砂糖つぼの “Sugar boy” を思い出した)、珈琲はおいしいし、庭の池の鯉にも餌をやりたいし、という具合であったためである。気になるたくさんの物事のあいだに、定期的に「そうはいっても落ち着いてすごしたい」という考えが、波間に浮かぶ赤い小さな船のように現れてはまた見えなくなってゆく。

200円の餌を買って鯉の餌やりをした。鯉たちが、池じゅうから集まってきて、水のはねる音がなかなかの喧騒感を醸し出す。最前列で口を開けるもの、前のめりすぎてもはや水から出て石に乗りあげているもの、興味がなさそうな風で魚だかりから離れたところを泳いでいるもの、じぶん一匹さえ入ることのできないすき間に口を挟みこみ、そこに一粒の餌が落ちてきた場合に限っての100%の成功率を狙うもの、気づかれる餌、気づかれない餌、餌を一粒ずつ撒く子ども、最終的には袋をひっくり返して大盤振る舞いする少年、鯉、わたし、いま、ここ。餌を得たはいいが今や水から体がほとんどぜんぶ出てしまって石の上の鯉も、なんとか池に戻る。ほとんどみんなぱくぱくしている。そのぱくぱくの渦のおかげで、あっちへこっちへ浮遊していたわたしの頭は、ほんの少しだけ、いまに帰ってきた。

ぱくぱく。