体温を測っている間、暇である。

歯を磨いている間は右手と口の中以外が暇で、アキレス腱を伸ばしてみたりお湯を沸かしてみたり、絨毯にクリーナーをころころかけたりしているうちに、驚くことに右手が歯を磨いていることを忘れて休憩に入っていたりする。

髪の毛を乾かしている間も、頭と右手以外が暇なので、いま髪の毛は短い。

この前美容院に行ったときも今思えば髪の毛は短かったようだが、椅子に座ったわたしは「今度はもっと短くしてください」と注文した。どんなようなフォルムが希望かと聞かれたので、『勝手にしやがれ』のジーン・セバーグくらいの短さ、と言った。美容師さんはスマートフォンでジーン・セバーグの写真を検索してその白黒写真を見せて、「こんな感じですか?」と聞く。わたしが思っていたよりもずっと、ジーン・セバーグの前髪は、それはそれは短いのだった。美容師さんは、髪質の違いや頭のかたちの違いの話もしてくれる。それ以前に顔とか首とか顔のつくりとかが一億パーセントまるまる違うのだが、その話は互いに自明すぎるためにおいておいて。わたしだって髪の長さに限ってのはなしであってさえ、ジーン・セバーグの、とかいうたとえを出すのにはとうぜんどうかと思いましたもの。

それはそうとためらいながらも勇気を出してジーン・セバーグのはなしを持ちだしたのは、それくらい髪を短くしたかったからであるので、もちろん前髪も短くしたかった。まいにちの、ドライヤーとの付き合いを、よりドライにしたかった由。というわけでじぶんの前髪をジーン・セバーグの位置にまで持ちあげてみた。そのとき大きな鏡のなかにいたのは大五郎(『子連れ狼』)であった。そしてその即席の大五郎を見たのはわたし一人ではない。ジーン・セバーグ(の髪の長さ)を希望して登場したのが大五郎であったことから、わたしはいかにひとりの人間が己のセルフイメージを現実から飛び上がっていない範疇で構築するのが途方もないことであるかをまざまざと実感した。

というわけで、満場一致(わたしと美容師さんの2名による)で前髪はそこまで短くしないことになった。もしもわたしが大五郎化していなかったとしても、わたしの髪質であの長さでは、毎朝のセットなしでは前髪は終始浮いていることと思われるため、その決議に異論はぜんぜんないのだが、でもなんだか、もう一人のじぶんに、一貫性のなさをなじられているような気分にもなっていた。「あなた、ドライヤーをかける時間を短くしたいって言ってたのに、なに、大五郎がいやだっていうの?目的を完遂なさいよ。」大五郎がいやなのではなく、単純に、あの前髪の長さはわたしの顔においては変であったと思う。いつかなにかの拍子であの長さにならないともわからないけれど、現時点では、わたしはそこまでの時間至上主義者ではないのだ(ということがわかった)。

それで、一か月が経ち、前髪が気になる。まっすぐ伸ばすと目の下まであるのが、近ごろ、ときどきの範囲を超えて目にかかる。それをいちいち左手氏が登場して耳のほうやら頭の上やらに持っていくが、波打ち際に砂の城を作るようなものである。そのあんまりの繰り返しに、この前美容院に行ったときになぜもっと短くしなかったのかしらと思う。それは変だったからだ、と思い出す。せっかちのしっぽが、わたしの場合の前髪なのだ。

そしてわたしは、かえってせっかちを発症したほうがよい場合においては存分に万事スローです。それで行き場がなくてつまらなくなったせっかちが、体温を測るときとかお米をレンジで解凍しているときとか歯を磨いているときとか電車のカードにお金をチャージしているときとか、そういうときにこれ幸いと飛び出してくるのかもしれません。あるいは加齢によるものかもしれません。

 

 


Written by mariko