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一日で、靴ひもがよくほどける日があり、その上限は多くても3、4回ほどという気がするけれど、数字にしたら3、4だけど、その最中の本人の気分としては「またか」というほかない。その日初めての “ほどけ” でも、「またか」と思うことすらある。その場合は、数日前に同じ靴を履いていてそのひもがほどけたときの気分をまだ消化していなかったということか、あるいはもはや回数など関係なくて、ほどけた状態であるくつひもに対する大向こうのようなものなのかもしれない。「待ってました」ではなくて「またか」、そして口には出さないが。

わたしの靴のなかではとくに、バイオレット色のスニーカーの白い紐がよくほどける。包装紙をくるんでいるりぼんよりも、さきいかよりもずっと自然にそれはまるで熱せられたチョコレートのように、ほどけるというより溶けているように思えたりする。結んでまたほどけて、駅に着くまでにわたしは最低2回はしゃがむ。道の端で車の往来を気にしながら。

ちいさなころから、どうも、靴ひもが結べていないような気がしていた。靴ひもに対する信頼が芽生えるときは、もはやほどくのが困難なほどに一つ結びを硬く2回くらいしたうえに気持ち程度にりぼん結びをして、りぼん結びの両端を靴の中に入れてしまう(道に擦れない)という反おしゃれ路線をとったときである。この方法は運動会などでは有効だが、ごく当たり前に脱ぎにくいため、普段使いには向かぬ。

こうして考えていくと、そもそもひもというもののだいたいを結べていないような気がしているのはずっとで、その身近で影響の大きいものが靴ひもであり、小規模な例としては、縫い物を終わらせるときの玉結びが挙げられる。いまだにあれが出来ているのか出来ていないのか、たまに玉結びをする機会に胸は必ずざわめくことになっている(そしてyoutubeなどで、やり方の動画を何度も見て、再現できない)。中程度の例としては、絵を飾る額の裏側のひもを結ぶことやじぶんの髪や段ボールをまとめて束ねる場合などがある。中学生のころ、己のひも術を自覚せぬまま縫い物に憧れて編み棒やら毛糸やら編み方の本やらを揃えて、ほんとうに何も編めなかった。そういうわけで、じぶんで髪の毛をすてきに編める人や、刺しゅうや編み物ができる人、段ボールを美しく手早くひもで束ねられる人への羨望は計り知れぬ。そういう人はきまって、ぜんぜん得意ぶらないで、「なんてことないのよ」と言う。なんてことあるのだ、大いに。

靴ひもが何度もほどける人(わたし)や、よくお皿を割ってしまう人や、電車のなかによく忘れ物をしてしまう人や、卵を割るのが苦手な人や、いろんないろんな人がいて、みんなときどきじぶんの “それ” に「またか」って思ってるんでしょうね。

 

 

 


Written by mariko