みんな落ち着かない

meincoatときどき、なにがあったというわけでもないのにやけにそわそわ、そわそわすることがある。

ついさっきお米を洗って、まさに現在(炊飯器が)お米を炊いているところなのに、食パンをトースターに入れてつまみを3分のあたりにぐいっとひねってみたり、珈琲を淹れながら洗い物を試みて(やかんで珈琲を淹れるので蒸らす間などが暇なのです。ほんとうはそんな芸当やめたほうがおいしい珈琲になることでしょう)、せっかくできあがりのころにそのことなどすっかり忘れて厄介な油汚れのフライパンに重曹水を夢中でスプレーしていたり、たわしを鍋に入れて煮沸消毒し始めていたりする。ぜんぶあとから気がつくのだ。たとえば飲んだ珈琲が、”淹れたてのはず” なのに、冷たかったりするときに。

そんなときは、わたしだけでなくていろんなものがいっしょにそわそわしはじめる。

熱湯のなかから引き揚げたたわしは、ひんやりしたシンクの上へご機嫌にダイヴして、わたしは悲鳴を上げる。

たわしを干して、机についてもそわそわ落ち着かないから、掃除機をかけようと思う。

掃除機かけるのだったら、上の空でもなんとかなるだろうと思うのだけれどもそんなことはなく、掃除機のホースを握って前進するだけのはずが進まない。振り向いたら掃除機本体が、こがねむしのようにひっくり返って、タイヤが天井を向いている。引き返して彼を起こしてやれば今度は廊下までは進んだけれど、次の部屋にどうにも行けない。電源コードはドアのところやら掃除機のまわりやらを二周くらいして本来の長さを無駄にしており、掃除機はもといた部屋のほうを向いている。ぜんぜん協力的でない。わたしがいい加減な気分で「掃除機でもかけるか」と思っていたのを完全に理解してのことと思う。その後も彼はやたらに、いつもよりも多くのものにぶつかってみせる。椅子の脚、台所の角、壁、部屋干しの脚、それからじゅうたんのうえの本を「当然ですよこんなところにあっては」という具合にふんづける。ソファの下には頑として首を突っ込もうとしない。

そんなわけで、掃除機をかけたらすこしは気分も落ち着くかと思ったのに、あてが外れる。

また机へ戻ってくる。やるべきことを確認する。よしやるぞ、と思う。jamiroquaiのfunk odysseyというアルバムをかける。

運よく集中でき、そして集中が切れたころ、“Do It  Like We Used To Do” という曲が流れてきて、ひたすらに“Do it Do it Do it” と繰り返すので、わたしはまたやる。その次の曲は、“Deeper Underground” という。今度は、“I’m going deeper underground. There’s too much panic in this town” という言葉が繰り返される。そういうわけでわたしは“Do it” を中断してもれなく、深い深い地下のことやあまりにもたくさんの混乱が生じているこの街(行ったことのないNY、ひいてはじぶん自身)のことを考え始める。ここらでやるべきことといったら掃除機をかけることかお皿を洗うことだと思うがあいにくどちらもやり終えて間もない。

メモを取ろうとしたらボールペンがない。

棚に取りに行く。書き始めたら書き損じて、修正ペンを探す。修正したらインクがたいへん良く出て(昨日はぜんぜん知らんぷりだったのに!)、なかなか乾かず、乾いたらよく出た分、白く盛り上がっている(主溶剤:メチルシクロヘキサン約45%とのこと)。「きみね、あのね、わたしがきみに求めていたことはね、なにも、紙の上からもりっと盛り上がってその修正ぶりを強調することじゃあないんだよ!わかってるのかい」と、よくわからないが政治家かなにかのような口調で修正ペンを叱りたい気持ちが盛り上がるも、口には出さない。

気を取り直してメモを再開しようとしたら、今度はボールペンがない。「ボールペンはどこへいったのかね!」とまたよくわからない政治家か元校長か相談役かなにかそういう人物が再び顔を真っ赤に蒸気してご登場。ボールペンは、わたしがさっき修正ペンを取りに行った棚のうえに滞在中であります。取りに行く。書く。インクの出が悪い。書き始めたところと再開したところで文字の濃さ具合が違う。諦める。こういうときに上からなぞると大概文字が太くなりすぎる。

そういうわけで、歯を磨こうと思い立ちました。特になにか食べたというわけではありません。