あたらしい掃除機が欲しくなって1年は経過した。後方不注意のわたしのために、しょっちゅうひっくり返ったりドアに道を阻まれたりコードでじぶんをがんじがらめにしたりしてきたこがねむし似の掃除機くんとの付き合いはもう13年目となり、変わらず彼の働きぶりは衰えていないのだが、コードのない掃除機っていうものが欲しくなってしまった。しかしながらこがねむしくんはよく働いてくれているのだし、何が不満なのでしょうか。おそらくわたしは未来を知ってしまったのだと思ひます。京都から江戸へ行くのに籠や徒歩や馬にライドオンして数週間かかっていたころに新幹線のこと聞いたら、乗りたくなると思います。一回乗ってみたい、となり、乗ってみたらもう毎回乗ってみたくなるような気がします(ランナー気質の方は除く)。そういうわけで、わたしはコードのない掃除機を使ってみたくなり、売り場で試して、それでこれをぜひとも我が家で毎日使いたいと夢想するやうになつた次第なのです。

ある土曜日、今日はいよいよどの掃除機を買うか決めるぞ、と意気込んで出かけました。わたしは意気込まないと電気屋さんに行けないたちなのです。たいへんな情報量(照明、文字、音及び歌、製品数など)の渦に毎回飲み込まれて早々に休憩をしたくなってしまい、肝心の製品情報があやふやになるという体質のためです。売り場へ着いて、実際に商品を試したり店員さんに話を聞いたりしている間じゅう流れている店内アナウンスや歌が、電車に乗って家に帰る間じゅう、そして家に着いてご飯を食べたりお風呂に入っている間じゅう、頭のなかで巡り巡って流れ続けるという症状も、あらかじめ覚悟する必要があります。それさえ心づもりしておけば、あとはいろいろ質問をしたり、比較したりすればさぞかし収穫があることでしょう。

用事を済ませて電気屋さんに向かう道すがら、鼻がむずむずしてきました。その日は灼熱の太陽。容赦ない。寒さの要素はないので気のせいだろうと思って電気屋さん目指して歩き続けますが、気のせいではなくて事実鼻水が出てきました。現在気温30℃以上でいっさい寒くないですし、自己診断で今のところ空気は乾燥していませんがいかがですかどうぞ、という無線が脳より届く。目の方はサングラスをして眩しさ対策中でありますどうぞ、という無線も入る。わたしはそれをうむうむ尤もなことだと聞いている。鼻は沈黙し、鼻水は出てくるところ。手は、こうなったら仕方がありませんのでティッシュで応急処置しますどうぞ、と言ってかばんからポケットティッシュを引っぱりだす。持っていて良かったですどうぞ。

店の中に入りエレベーターに乗り該当の階で降り、掃除機売り場が見つからなくてうろうろする。教えてもらった方へ行くと掃除機ではなくてコーヒーメーカーが並んでいるのでまた道を聞く。そうこうする間に鼻はみるみる悪化して、もはや脳からの応答もないし、目の方も涙を呈しはじめ、手は「そろそろティッシュの残りが僅かですどうぞ」とひとりだけ無線をよこしてくるが、誰も返さない。そうして掃除機売り場に着いたころ、目薬も虚しくわたしの目の本来白みがかっている部分はいちごシロップ並に赤く、通常の30%程度の縦幅となり、くしゃみが定期的に発動するようになった。

目の端に、紫色の掃除機が見える。ぼんやりとした頭に「吸引力の変わらないただ一つの掃除機」という言葉が響く。いつの間にか勝手に覚えているうえにこんな非常事態においてもよろよろになりながらそのフレーズを引っぱりだしてくるわたしの脳に、それはいいから鼻水を止めてもらえませんかねと無理は承知でお願いする。

わたしの掃除機に関する知識は数週間前にふらりと立ち寄った電気屋さんで聞いたことがほとんどすべてであるので、売り場に並んでいるものを冒頭から試すこととする。D社、E社、M社、H社、M社、T社、S社・・・。ドレッシングを入れるような細長い容器に木くずやビーズなどゴミに見立てたサムシングが入って置いてあるのを、小さなじゅうたんやフローリングの上にこぼして吸い取る作業に興奮し、あれもこれもこぼして吸い取りたい欲が沸いてくるのを売り場の混雑とくしゃみとが阻止する。頭がぼやけてくれているおかげで、いつもよりずっと当初の目的にフォーカスできているように思える。バッテリーの減ってしまったスマートフォン状態で、照明も暗くし、ウィンドウも閉じて、次の充電までじっと身をもたせる体(てい)。それにしても悪化する。くしゃみの頻度は上がるし、ティッシュはもう底をつきかけ、そしてここは掃除機売り場である。ほかの売り場よりも掃除機がかけられている頻度は高いに違いないが、ほこりが舞っている比率も高いんじゃないでしょうかね。現にさっきわたしは自ら木くずをこぼして吸い取ったのだし、だいたいみんながあれをやるのだ。

不本意だが一旦休憩することとした。ソフトクリームを食べて帰還。このころから、店員さんに「大丈夫ですか」と尋ねられる頻度が抜群に上がる。けっこうよろよろしていたのだろう。気道確保率低下による鼻声で何を言っているかも伝わりにくくなりはじめ、質問を何度も聞き返される。じぶんでも、「これで何を言っているのかわかる人がいたら本当にすごいな」と思いながらしゃべっている。

 

「このパーツをつけることにより、布団クリーナーとしても使えます」と言って、小さな布団に店員さんが掃除機をかける。パーツ付け替え時に掃除機の吸い取り口が最接近。脳より、ほこり発生付近、避難せよとの指示が下る。というわけで、見たいのか見たくないのかわからない変な客と相成る。困ったこってす。「試しにこのゴミを吸い取ってみましょう」と言って、ドレッシング容器から布団のうえに木くずがこぼされる。緊急事態、木くず発生、最大限避難されたし、との命令。さっきは足元のフローリングであったが今回は腕の高さあたりに置かれた布団ということでよりまずい。鼻に近いです。さっきあれほど楽しかった、撒いた木くずを吸い取る作業はもはや顔を背けて一刻も早く終わらせたいミッションとなる。われくしゃみを連発す。鼻水を止める最善の方法としては掃除機売り場を離れることじゃないすかねーというような軽いトーンで足が言う。そうでしょうね、わかってますとも、でもあなた今日ここへ来た目的はどの掃除機を買うか見定めるためですよ、わたしゃ帰りませんよ。

また別の掃除機を見る。店員さんが「大丈夫ですか」と2分に一回くらいの頻度で尋ねる。「お手入れはどうしたらいいですか(実際には、こんなに明瞭な言い方ではない)」と聞くと、こうやってこうやって、と吸い込み口を分解してくださる。顔のそばで。はくしょん。「風邪ですか」「いえ、たぶんほこりじゃないかと思うんですよね、掃除機売り場で悪化したので」「そうですか」「布団クリーナーも試していいですか」「ええ、どうぞ、これです」布団用ノズル(裏側がこちら向き)が最接近 to me。「このノズルは何ですか」「これはパソコンのキーボードとかそういうところに向いています」先に毛のついているノズルが目前に。はくしょん。店員さんは指でその毛を撫でてみせます。はくしゅん。当たり前ですが店員さんは真摯に教えてくれているんで、わたしのほうも頑として掃除機売り場に踏みとどまっているんで、いくらくしゃみが出ようとも、目が半開きであろうとも、誰が悪いとかそういう話ではないのです。

そうはいってもこのぼんやり頭で決断を下すことはよろしくないと、その日はパンフレットを持って帰り、蒸しタオルを顔に載せて鼻と目を静めることに数時間を費やしました。蒸しタオルよありがとう、水とタオルとレンジよありがとう(レンジで蒸しタオルを作りました)。すこしずつ霧が晴れてきた頭に浮かぶのは最後に見たあの掃除機くん。空想のなかで一切くしゃみをしていないわたしは、あの掃除機でノズルを替えながら家のあちこちを掃除しています。

そして先日、我が家に掃除機がやって来ました。わたしはいま一日に2回は掃除機をかけています。3回かける日もあります。言うまでもありませんが、スペースは限られていますから、その度ごとに同じところを何度も往復しています。「ここさっきも吸い取ったじゃないか」とかなんとか、脳や足が何を言ってもお構いなしです。楽しいのだから仕方ありません。


Written by mariko