47話は、着ぐるみかぬいぐるみと間違われたアーカイヴくんです。

ふわふわ感があり、そこから手と足が出ている彼(?)のことですからそう思われてしまったのかもしれませんが、いっぽうで、ひとりひとりのわたしは、というと、どうでしょうか。

みなさんにとって、「わたし」って、どんな風なものですか。

わたしにとって、「わたし」っていうものは、なんだか分からないけれどいまここにいる生き物の塔のようなじぶんの、とりあえずの総称のように思われます。心臓氏、眼氏、口氏、鼻氏、さまざまな内臓氏、血管およびそこを流れる誰それさんたち(何をしてくれているのかさえろくに分かっていなくてごめんなさい)、睫毛や髪の毛や爪やそれを伸ばしてくれているどなたか、耳氏、喉氏、骨さんたち、ふいに浮かび上がってくる記憶やどこかからやってくるイメージ、きっといつかのあの人やこの人たちに似ている手の形や目の形や髪の癖、なぜそういう音か分からないけれどそういう音になっているじぶんの声、そういう膨大な、ぜんたいのことなど皆目分かりようのない、絶えず流動する無数の何かの集積のことを、とりあえず、「わたし」って呼んでいる感じです。

そういうわけで、例えば「わたし」がスーパーマーケットへ行く場合、傍目にわたしが運んでいるものは、リュックや財布や買い物袋であり、身に着けているものは、ダウンコートや毛糸の帽子やスニーカーにすぎないとしても、実際には、上記及び思いの及ばない無数のだれかさんたちも一緒に総勢で移動するわけです。眼氏はまだ本を読んでいたいとか、胃氏はさっき食べたクッキーを念入りに消化している最中とか、そういうそれぞれの事情や気分を抱えたみなさんに、わたしはまとめて一緒に出かけてもらいます。町中は、あちこち「わたし」の塔が移動しています。急ぎ足の塔もあれば、手を繋いでいる2つの塔もあるし、生まれて間もない塔もあれば、座って話しこんでいる塔もあります。とっても悲しい気分の塔も、嬉しくてスキップしている塔もいる。お花も塔で、犬も塔、鳩も塔。

北風が吹いて、ああ凍えると身体が細くなるようなとき、塔のなかのみんなは、「寒いね」「いやあ参っちゃうね」「首元までボタンを閉めた方がいいんじゃないの」「帽子を深くかぶったほうがいいんじゃないかい」「ショウガを買って帰りましょう」「帰って足湯に浸かりたい」等々、話が弾んでいるような気がします。そしてそういうやりとりは、太陽がまぶしいときや大きな満月を見たとき、暖かくなって薄手のコートでよくなったときやとびきり暑いときなんかに限らずとも、きっともっとしょっちゅういつもいつも交わされているものなんだろうな、とわたしは思っています。



Written by mariko