先日高松に行ってきました。わたしにしてはめずらしく明確な目的があり、香川県立ミュージアムで『近藤善文展』を観るためです。
なんの予定もなければさしてそわそわしないものを、ひとつ明確な目的がポン!とあるだけで、なんだかほかにも滞在中の明確な予定を美しくタイムスケジュール上に書きこんでいかなければならないような気がしてきましたが、その強迫観念はひとまず見ないようにするのが強迫観念とうまく付き合うコツですね。近藤善文展についてはまたどこかで書くとして、17時に美術館が閉館したのですが、外に出ると雨が降っていました。ちょっとそこへ行くだけでも随分濡れそうな雨です。リュックに旅の間の財産(着替え、洗面用具、本、スケッチブック等)を背負っている身として保身に走り、そのうち止むだろうと思って、美術館の入り口へ続く、大げさにも思えるほどのひさしのところで待っていました。そして同じように待っている人も出てくることと思っていたら、なんとわたしだけなのでした。出てくる人出てくる人、傘を持っているのです。場合によってはレインコートを着て傘をさすことのできる準備の優れた人もいました。それにしても雨の降る日に傘を持っている人って涼しい顔をしています。屋根やひさしのある場所をたどって移動しなくても良いその自由さは、まるで雲のうえでも歩いているかのよう。(もちろんわたしも逆の場合であればそういう具合だったでしょうね。)というわけで40分近く、小降りになるまで待ちぼうけしたのでした。(じぶんの準備の悪さについては、よくあることだから別に気には病みませんでした。)わたしは近頃旅行に行くときにお気に入りのハンカチを持っていきます。2日なら2枚、3日なら3枚。そういうわけで小雨のなかを私はWさんから頂いたムーミンの絵のハンカチを頭のあたりに巻いて、歩いたのでした。ロシアでは頭にスカーフを巻いたおばあさんがたくさんいてすてきだった、というようなことを本で読んだことがありますが(ロシアのどの辺だったかは忘れました。ロシアって広いですよね)、その日の夕方にそのあたりで頭にハンカチを巻いていたのは少なくともわたしだけでした。

さて、翌日は晴れて、この瓶を買いました。まちのシューレ963という、生活にまつわるものが、家具や食器や洋服や小物、お土産など広々とした空間に並ぶすてきなお店があって、そこにテーブルの下で箱に入ってこの形の瓶がいろんなサイズで売っていました。テーブルの下ですからしゃがみこんで、いつものように漠然とした頭を抱えて、とくに明確な意図も見当たりませんでしたが、一番小さなサイズと二番目に小さなサイズを選びました。

瓶ってだいたい、あとから不思議と役割が出てくるものなのです。そのときはわからなくても。たぶん。

レジで、この瓶はガラスにところどころ気泡が入っていることと、耐熱性と密封性がないことを教えて頂いたので、危うく自宅で煮沸消毒して無残にも割ってしまう悲しい結末を迎えずに済み、これは瓶を迎えいれる者にとってとても大切なインフォメーションであると、今さらながら実感しました。(今さらにもほどがあります。)

さて、持ち帰ってきて案の定、数日が経過しました。

そしてある朝、もう出かけなければならない直前に、わたしは唐突にいてもたってもいられなくなり、洗面所ですすいで乾かしたままであった瓶に、ボタンやらチロリアンテープやらを詰めこみ始めました。詰め込む、というより、別の箱から空の瓶へ移し替え始めました。いくつか他にも詰めこみたいボタンがあったのですが、その時には見当たらなかったので、時間も迫っていることだし、ひとまず詰めこみを終え、瓶に蓋をしました。

静かであたたかな波のような満足感がわたしを満たし、わたしはその瓶を写真に撮って、リュックを背負って、出かけたのでした。この絵はその道中に、その写真を見て描いた瓶の絵です。

ひつじはチロリアンテープの模様です。この模様は心の底から大好きです。


Written by mariko