時間(日記)

バス停で、時間を確認しようと思ってスマートフォンを家に忘れたことに気がついた。取りに戻っていたら予定に間に合わなくなるのでそのままバスに乗った。バスに乗っている間、景色を眺める。空き地、動物病院、家々の玄関先のゴミの出し方それぞれ、洗濯物、大きな庭、クリーニング店、水色のパーマヘアのおばあさん。バスを降りる。時間がわからない。時計というものはふとしたときにそんなに見当たらない。特に大きな時計というものが。不動産屋のガラスドアの向こうの壁に丸い時計。ちょうどよい時間だと判明。間に合う。用事が終わり、行ったことのない辺りを散歩してみることにする。時々道路沿いに立っている地図を参考になんとなく歩く。小学校は体育の時間で大賑わい、テニスボールくらいの大きさのオレンジ色のボールを高く投げて遊ぶ男の子たち、家と道路との境界に置かれたコンパクトな倉庫につけられた鎖と鍵、信号待ちをする人の自転車のかごに入っている袋に書かれたお菓子屋の店名、水色のドア、ケーキ屋の箱に描かれたドングリや椿の絵、箒と塵取り、水色に塗られた高い高い煙突は清掃工場の、ドアも壁も看板も緑色の美容院、家の門、しっぽが八割方ない猫が身体をぺったんこにして門を潜ってゆくときの、お尻の形、坂、梅の紅色のつぼみたち。時間は相変わらずわからない。何分歩いたのかもわからなければ、ひとまず目指していた近い(はずの)駅まであとどのくらいかもわからない。指先はかじかんで赤い。同じ方向へ歩く人が多くなる。駅に着く。時間はわからない。同じ名前の薬局が、徒歩45秒くらいの距離に二軒ある。塾とスターバックスとスーパーマーケットもある。ようやく駅に着いたのだけれど用事もない。少しでも近道でありますようにと、来た道とは違う道を北へ向かって歩いていたら、さっき歩いた道とつながる。拍子抜け。特別なルートは今のところなく、歩くだけなのだ。歩く、歩く。パンを買ってバスに乗って家へ帰る。部屋の壁の、いつものところに掛かっている時計で、いま何時かわかる。思っていたよりも時間は経っていなかった、とも言えるし、そもそもどのくらい時間が経ったのかなんてぜんぜんわからなかった、とも言える。

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