球根と習慣(日記)

あるときから、毎年冬にはヒヤシンスの球根を買ってきて、球根が落っこちず、伸びた根の部分だけが水に浸かる形の花瓶に載せて、次第に茎が出てきて伸びて春のはじまりころに花が咲いて部屋に香りが広がって、場合によってはもう一本茎が伸びてさらに花が咲いて、というのを楽しんでいた。球根仲間のムスカリなどが加わることもあった。

それが、少なくともこの2年ほど、わたしはヒヤシンスの球根をすっかり買い忘れ、買いそびれている。
 
たしか一ヶ月ほど前に花屋の店先のかごに、ヒヤシンスの球根はたくさん盛られていた。いずれ咲く花の色は、球根にそれぞれ巻かれたリボンの色でわかる。ピンクと白と青っぽい紫色があった。わたしの目のピントは急に合い、「この冬もヒヤシンスの球根を買うのをすっかり忘れていたことをいま思い出した!」となり、「でも忘れていたことを思い出してよかった!」と思い、しかし行くところがあったために、帰り道に買うことにしようとじぶんと約束した。そしてどこかへ行って何かをしているうち、きれいさっぱり忘れた。
 
flower from me
 
一週間ほど前、同じ花屋の前を歩いていて、唐突にヒヤシンスの球根のことを思い出し、この間かごがあったところへ近づいてゆくも、ヒヤシンスの球根の影も形もなかった。小さな別の球根があったが、その球根からはすでに茎が伸び、尖った花びらの白い花が咲いていた。忘れておいてなんだが、やはり今季初めの球根は、まず茎が伸びてくるところから、楽しみたい。店の中にも入ってみたが、咲いている花はたくさんあったけれど、何も出ても咲いてもいない球根は見当たらなかった。
 
わたしの熱意というのもそれまでで、他の店を探すとかそういう努力もしやしないので、いま自宅の、ヒヤシンス用の花瓶には、チューリップが2本生けてある。薄い紫色とレモンみたいな黄色のチューリップ。切り花のため根元に球根はなし。毎年思っていることのひとつだが、チューリップってなんてかわいいのだろう。信じられない。
 

昨日から、薄い紫色の方の茎が弧を描き、チューリップはテーブルに話しかけている。

 
ヒヤシンスの球根を毎年育てる(といっても水をときどき替えるだけである)習慣は、その習慣が途切れていることにすら気づかないうちに、わたしから消え失せてしまっていた。たぶんほかにもいろんなものが、まったく意識されぬままに消えてしまって戻ってこないのだろう。それがいいとかわるいとかじゃないと思う。そんなものなのだろう。球根が並走してくれた日々もあれば、別のなにかが一緒にいるときもある。
 
年末から窓辺にいた豆苗は、3度ほどの刈り取りを経て、ぐったりしてしまった。わたしはそれを見ながら、今日は寒いな足が冷たいな靴下をもう一枚履こうかなとかなんとか思っている。
 

これは2013年に描いた、そのとき栽培していたヒヤシンスの球根。