いつの間にか、見当たらない

人と比べて、というわけじゃなく、じぶん比で、わたしはけっこう靴下を色々持っている。どう収納すればよいか結局分からずじまいで、今は、プラスティックのバスケットの中に、ただ、入れている。(このバスケットにはかつて別のなにかが入っていたのだが(なにかは思いだせない)、収納を見直した際にたまたま空になり、現在彼は靴下を抱え込んでいるのだ。)そうなると上から順番に目に入るので、おおむね上澄みの靴下をよく履いている、ということになるが、どれも履いていて不便は無いので、上の方を漂っている靴下たちは日常使いに向いている(素材や長さなど)ということになろう。

先日、外を歩いていたら、紫色のスニーカーを履いているはずなのに、その紫色のなかに、緑色があるではないか。はて?

目を凝らすと、スニーカーの左足には小さな穴が空いており、その穴から「こんにちは」しているのが、緑色の靴下である、という様子。

靴下はわりあいたくさん持っている一方、わたしは靴というものに頓着がなく(じぶん比で)、基本的には毎日同じものを履いて不満がない。(そうは言っても雨の日は長靴を履く。たまに履くと慣れずに滑りそうになるので注意です。)いま頻繁に履いているスニーカーは、本来ランニングシューズとして作られたようで、わたしの足にはとても合っているので、色も形も同じものを買い直した二足目である。

同じデザインの同じ色とはいえ、二足目を買った時は、一足目と比較して、「やっぱり新品は色が違うなあ。紐もきれいだなあ」などと玄関でひとしきり眺め、一足目と共に過ごした時の流れを感じたものですが、あれはもう三年前のことなのだ。”新しい方のスニーカー” を履いて、いつの間にやら三年が経っており、左足の小指に近い網目のところに穴が空いていたのである。きっと負荷がかかる部分なのでしょう。

色んなところへ一緒に行った。

穴を見つけて数日が経ち、三足目のことを考えはじめた。インターネットで調べてみた。そしてひょっとすると、もう同じものは簡単には手に入らない可能性が出てきた。履いている色が、選択肢から消えている。それどころか、同じデザインの他の色すらも、なかなか見当たらない。鼓動が速くなる。生産が終わったか、輸入されなくなったか。とにかく三年前とは状況がぜんぜん違っているようである。

なぜ、三年前に五足くらい余分に買っておかなかったのだろう(まず第一にそんなこと考えもつかないし、場所もないではないか)。穴が空いているのに気づいたのだってついこの間なんだから、いかに日々なにも考えていないし見ちゃいないかということだ。特に歩きやすい靴を履いている場合には。現状の不可逆的変化なんてこと、意識にのぼらない。ほんとは隣りあわせなのだろうに。

今更だが、小さな穴などあってちっとも構わない。そこから靴下が見えようが気にしない。雨の日は長靴を履くのだし。それよりもこのやっと出会った履きやすい好きな色の靴が、世界から静かに消滅して行きつつあるらしいということに呆然とする。

気のせいでありますように。