道を歩いているとときどき、木の枝に鍵がぶらさがっている。または、紐つきのぬいぐるみがぶらさがっていたり、枝の先端が紺色の手袋をひとつつけていたりする。

その通りで落し物を見つけた人が、それがこれから踏まれず、落とし主が探しに戻ってきた際になんとか目立つような場所はないかと考え、ちょうどいいところに木が立っていて、さらにちょうどいい高さにちょうどいい太さで枝が飛び出ているとき、自分がそこに立っていて待っているかわりに、木に鍵をぶらさげていてもらったり、手袋を片方だけはめていてもらったり、白い熊の小さなぬいぐるみを挟んでいてもらったりするのだろう。

そして木のおかげで、その物たちは、”だれかが拾った”れっきとした落し物として、通りを歩く人々の目にうつるのである。持ち主のことが嫌いな鍵がコートのポケットから木の幹に飛び移って、自分についている紐でもって枝の先にぶらさがって通りを眺めている、というような鍵の自主性については、基本的には考えないこととした場合には。

いっぽう、その鍵やぬいぐるみや手袋を見つめるわたしはといえば、左右の耳につるをひっかけ、鼻のたすけも借りて、ようやく眼鏡を装着している。耳は忙しく、眼鏡のつるに加えて、花粉の吸い込みを防ぐためにマスクの紐もひっかけている。鼻のところでマスクと眼鏡のあいだにほんの少しの空白地帯があり、鼻を頂点としたマスクの折り目のすきまから抜けてきた息が眼鏡とほおのすきまに入り込むことにより、眼鏡のガラスが曇る。それについてはどうしようもありませんよ、と鼻が言う。

さらにわたしは、あたまには毛糸の帽子をかぶり、肩にはかばんをふらさげて、ずり落ちてこないように持ち手を腕で押さえている。

足先にはまず靴下をかぶせたうえで、靴をかぶせることにより、冬の夕方の冷たいアスファルトの地面を直接踏まずに移動ができるようにしてある。

場合によっては、耳たぶにイヤリングをぶらさげることもあるし、腕に時計を巻くこともあるし、指の先についている爪に色を塗ることもあるし、伸びてきた髪の毛を切ることもある。

歩いて疲れたら、腰を折り曲げて椅子に座って、飲み物を注文することもある。

歩いていて、向こうから散歩中の犬がやってくると、つい歩く速度をゆっくりにして犬を見つめる。犬は靴をはいていないが、首に輪っかを巻いていて、その輪っかから伸びる紐の先は、飼い主の指によって握られている。

小さな子どもはお母さんと手をつなぎ、駅の前では肩からギターをぶらさげた男の人が歌をうたっている。

わたしたちはまるで歩く木々のようだ。

じぶんたちの枝にひっかけたりかぶせたり、ぶらさげたり巻いたり、つないだり色を塗ったりして、今日も息をしている。


Written by mariko