三島にあるヴァンジ彫刻庭園美術館からベルナール・ビュフェ美術館までは、巡回の無料バスも出ているが、地図を見るとなんだか近そうだし、バス停のそばのおじさんに尋ねると「15分くらいだね」ということで、歩くことにした。
しばらく道路沿いを歩いて、駿河平自然公園を横断して、吊り橋を2つ渡ったら、ビュフェ美術館に到着する算段。
それで、なんとなくこのへんかなというあたりで、道路を下りて森のなかへ入る。
小川のせせらぎの音が聴こえるなか、横着して地図も見ずに歩いていくと、きのこに出会う。
きのこに会うといつも、「あ、どうもこんにちは」という風な気分になるのはなぜでしょう。挨拶をせずにはおられない。
きのこに漂うファンタジー感のもとはなにかと考えると、『不思議の国のアリス』で水たばこ(水ぎせる)をふかしているところのイモムシ氏が乗っかっているものであったり、テレビゲームのマリオに出てくる赤色に白の水玉模様のものであったりがすぐに思いつくけれど、そのほかにも次々きのこにまつわるメルヘンが浮かんでくるかといえば、わたしの場合はそうでもない。それに、草木や土や虫やなんかについてもろくに知らないのに、きのこに対してはとくべつ「不思議」感を抱くようなのである。
普段食べているきのこの、しいたけとか舞茸とかえりんぎやえのきのような、茶色や白の落ち着いた色あいであってもやはりその様子は不思議であるのに、道を歩いていてふときのこが生えているところに遭遇したならば、挨拶ののちに、その背丈、かさの色や反りかえり具合、柄の太さやくびれ具合をじっと見つめて、その都度ひとつ、不思議の玉のようなものが心に増える。そして、なんだかそっとそのままにしておいて去っていくのが当然であるような気配に包まれてまた歩き出す。
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おばあさんが桃太郎の入った桃を川で拾う前、山へ芝刈りに行っていたおじいさんの道中や、山越え海越えはるばる江戸へ向かう参勤交代の大名行列のかたわらにも、きのこは生えていた。縄文のころの人たちも、おいしい木の実と一緒にきのこを収穫したかもしれないし、馬に乗った人間たちが戦いに向かうときも負けて落ち延びるときも、黄色やピンクや水玉模様のきのこたちはときどきたぶん近くにいた。不思議な風体をしてそこに生え、りすや人間に食べられたり、毒でもって相手を困らせたり、足袋や馬蹄に踏んづけられたり、胞子を飛ばしてあたらしい場所に引っ越したりして。
きのこは静かでなにも言わないけれど、あちらから見たらこちらもずいぶん変わっているでしょうね。あるいは、変わっているとか変わっていないとか、そんなことは、きのこたちにとってはなんの関心もないことかもしれません。
そしてどうやらすこし道を間違えたようで、ビュフェ美術館に着くのには結局30分かかった。
わたしはそれはそれは暑くて、早く水を飲みたい気持ちばかりが募っていたけれど、きのこたちにはそれもぜんぜん関係ないことでしょう。