【イタリアのノート】バチカン美術館の昼食

バチカン美術館のランチ

バチカン美術館に行くのが初めてだったのと、館内にいったいどのくらいの時間滞在することになるのか想像がつかなかったので、お腹がぺこぺこになって気もそぞろになるのを避けるため、昼食つきのチケットをあらかじめオンラインで予約しておいた。

予約画面では、”Full Italian Menu”ということで詳細はよくわからなかったが、食事代はひとり18.5ユーロ、それに美術館の入場料が16ユーロ、予約手数料が4ユーロ。いま改めて値段を確認して結構驚いているところなのだが、食事はひとり18.5ユーロであった。18.5ユーロの食事は美術館の地下の食堂で、いくつかカウンターがあるうちの昼食券つきチケットを持つ入場者用カウンターにて、おおむね無愛想に、オレンジ色のトレーの上に準備された。メニューに対していくつか選択肢があったように思うがあまり覚えていなく、上記がわたしのトレーにのってテーブルへたどりついた食事内容である。その際の感想としては、「量が多いな!」ということであった。

地下への階段を降りてきた時点で気がついていたことでもあるのだけれど、同じフロアには簡単なカフェスペースと、サンドイッチなどを単品で注文できるカウンターと、売店があった。つまり、各自の好みやお腹の減り具合、予算に応じて食事を選べる余地があったわけである。それを知らなかったがために己の空腹を案じ日本であらかじめ昼食つきのチケットを予約したわたしは、18.5ユーロのオレンジ色のトレーを運びながら、トレーに対して妙な信仰心のようなものを祈るように募らせていた。つまり、ひょっとすると8ユーロくらいで、適切な量の食事と飲み物を得ることができて、それで十分に空腹は満たされたかもしれない、なんていう可能性に、可能なかぎり知らんぷりをするために。この大盛りのポテトフライや肉や野菜炒めや、麦わら帽子みたいな形のパスタは、絶対的に、想像したこともないくらいに美味しいはずである。たとえ、並ぶカウンターを間違えた外国人のわたしが、ばるばる日本から印刷してきた予約表(A4)を見せてしばらく知らんぷりをされたのちにようやく当該のカウンターをごく簡易的に指示されたあと、まるでお説教をされているかのような気分で待ちながら盛り付けられた食事だとしても、信じていれば、きっとこのお皿にのっているすべての料理はまるで嘘のように美味しいに違いない。
食堂はたいへん込み合っていたので、席を見つけるのもなかなかたいへんであったけれど、無事に着席。きっと故郷や友人へ熱心に手紙を書いているらしいアジア系の女の子が目に入る。

パンが石のように固くて驚愕した。どうがんばっても歯を欠けさせでもしない限り噛みきれなさそうなパンというもの、あるいは、食べものに出会ったのは、バチカン美術館の食堂が初めてであった。動揺して顔を上げれば、向かいの夫婦も同様に、パンを食べることを放棄しているところであった。わたしたちに比べれば、おそらくその人生においてお米よりもパンを随分食べてきたであろうと見受けられるその西洋系夫婦の顔に漂う諦念を見て、わたしはそのパンが石のように固い(わたしが噛む瞬間にだけ、噛まれんとしてぎゅっと身を縮めるようなパンではない)という事実を客観的に認めるにいたった。なにかの方法(表面をむく、など)によって食べる種類の特殊な、ツウ向けのパンかもしれないという考えが、今も100%払拭されたわけではないけれど、ひとまずトレーを返却する際、たくさんのパンが、格闘のあとを残し、あるいはほぼ無傷のまま、モネの描いた積み藁のようにトレーに乗っている風景を見たとき、わたしは再度、そのパンが石のように固いことの普遍性を確認した。固くなったパンを食べる方法は無数にあるものと思うが、少なくとも、あのトレーの上にはそのパンを浸すスープやカフェオレのようなものはのっておらず、固いパンを食べる方法の指南もなかった。そしてパンを除外したところで食べきれないほどの肉や野菜炒めや帽子風パスタがあった。味は、とくに想像を超えるということはなかったのだが、わたしは夜になってもお腹が空くことはなく、当初の目的は無事に果たしたと言えます。

木