そのときビスケットには穴があいていた

友人の2歳の息子は、平たい皿に盛られたビスケットを前にじっと顔を近づけて、

「穴があいてるね!」

と言った。実際、その“ミレ―ビスケット”には10の、やや太めの針で刺したような小さな穴があいていた。
それからビスケットをひとつ手に取ったので食べるのかと思ったら、

「お花だね!」

と言ったので、ビスケットのかたちがお花に見えるのかしらと思ったら、彼は皿を指さしており、たしかにそこには青い花が描かれていた。

そののち電車のおもちゃで遊んでいると、

「電車のごはんは?」

と何度も言うので、わたしは一生懸命、“電車のごはん”が何のことだか考えたけれどさっぱり良い案が思いつかず、キッチンにいて珈琲を淹れてくれている友人に尋ねた。すると「“電車のごはん”は石炭ね!」ということで、彼女はおもちゃ箱のなかからプラスティックの石炭が入ったプラスティックの車両を取り出したので、わたしはそれを先頭の黒い蒸気機関車に連結した。石炭は厳密には電車ではなく蒸気機関車のごはんと言えそうだが、わたしは蒸気機関車の仕組みをろくに知りやしないのである。

また、その日彼はわたしが描いたふくろうの絵のTシャツを着てくれていた。
彼はときどき思い出したようにTシャツをのぞきこんで、よく見えるように裾を引っ張って、

「これ、なにかなあ?」

と大きな声で言う。続けて、

「これ、くちばしかなあ?」

と大きな声でじぶんなりの考えを述べる。わたしはその絵を描いたのだが、彼の指さしている黄色のとんがりについてはくちばしのつもりで描いていたので、

「それはきっとくちばしだねえ」

と言う。それから、「これは目かなあ」と指さきはどんどん上昇していき、

「これはなにかなあ?これは、耳かなあ?」

と頭の左右に飛び出たとんがりを指しておっしゃる。

「それはね、耳に見えるんだけど耳じゃないんだよ」

と言ってみたら、彼はどうにもしっくり来ないようで、まっさらにはじめに返って「これ耳かなあ」とつぶやいている。
動物図鑑に聞いてみたら、耳に見えるそれが羽だと教えてくれるであろうが、それならばそもそも、ぜんたいてきに羽根がこんな風な色使いのふくろうって図鑑に載っているのか、みみずくとは違うのか、猛禽類にしては足の爪に力強さがぜんぜん足りないのではないか、それにふくろうなんだったらどうしてヒトのTシャツの表面に平たくくっついているのか、何を食べるのか、飛ばないのか、これを描いた人はそのへんをどう考えているのか。

めくるめく疑問が渦巻いておぼれそうになったわたしは、小さな彼の耳を指して、

「Aくんの耳はここについているね」

と言った。Aくんは、やっぱりぜんぜんしっくり来ていないようだった。
いっぽう、わたしのほうは、
「わたしは今、話をそらしたのだ」ということをしっかりと認識した。