電車が真鶴を過ぎると、やわらかそうな綿の白い帽子を被った女の人がまっすぐわたしのところへ来て、座席の銀いろの手すりを握りながら、

「湯河原へ行くには、熱海で乗りかえるのでしたっけ?」

と尋ねる。

かいもくわからない。

「すみません、わたしもこのあたりは初めてなので」

と言うと、

「あら、そうでしたか」

と悲しそう。

車両の上のほうの、路線図が貼ってありそうなあたりを見渡すも貼られておらず、デジタルな行き先表示もなく、だからこそこの方はいちばん近くに座っているわたしに聞きにきたのでしょう。

三島に向かうわたしの頭に入っていたのは、熱海で電車を乗り換えるということだけだった。

湯河原と熱海の、どっちが手前でどっちが先なのか、湯河原と熱海のあいだに何か別の駅が存在しているのか、そのへんはぜんぜん知らなかったし、考えてもみなかった。

ともに、「困りましたね」と一瞬、時が止まったあとで、わたしは鞄のなかにスマートフォンを持っていることを思い出したのだった。

それで調べたら、湯河原は真鶴の次の駅だということがわかった。わたしなりに注意深く確認したが、出てきた検索結果がすべて、湯河原は真鶴の次の駅、だと言っていたので、傍らで待っている女の人にそう伝えた。

「次の駅みたいですよ」

「あら、そうしたら乗りかえは必要ないんですね」

「どうもそうみたいですね」

「わかりました。わたし、勘違いをしていたみたいです。どうもありがとうございました」

それで彼女は銀色の手すりを離してじぶんの席にもどり、体をひねって窓の外を見ていたので、わたしには白い帽子のうしろが見えていた。

湯河原に着いた。彼女はリュックサックを背負って、花束を抱えて、ドアのところで「本当に助かりました、どうもありがとう」と言い、おじぎをなさる。わたしってなにもしていないようなものなので、恐縮する。ドアが閉まる前、ホームに降りたその人が「お気をつけていってらしてね」とまた声をかけてくださる。「ありがとうございます」と言うと、声が思っていたより大きくて、すこし席をあけておなじ椅子に座っていた2人連れがこちらを見る。電車が走りだして、窓の向こうに、歩いていくその人のうしろすがたが見える。また帽子のうしろが見える。

わたしってなにもしていないようなものなのだった。けれど、その人の言葉の使い方はすてきだった。

さて三島に着いて2日目、道に迷った。お腹が空いた夕暮れ時、ほがらかに歩いていたら、どうもなんだか、方向が違っているような気がしてきた。

明らかに堂々と太い道が現れて、その太い道を左に進むつもりでいたが、いつまでも「これはまさに探していた太い道だ」という太さの道が現れない。太い道というのは、朝にホテルでもらった街の地図をさっき見て、最初のめじるしにした道のことで、名前は知らない。

途中数回、「なんていうか、この道も、相対的に見れば、太い道なのかもしれない」と、圧倒的な体感的な太さを放っているとはいいがたい道を、弱気になって、目指していたあの太い道、と思おうとしたが、やっぱりどう考えてもちがうのだった。

それで一旦立ちどまって、鞄から地図を出して、来た道を振り返ることにする。

とはいっても、じぶんとしては、想定通りの道を歩いて順調に駅のほうを目指しているつもりでいたので、このどうやら突き進んでいたアサッテの方向及び今立っているあたりが、この地図のどのへんなのかが、かいもくわからない。知らない街の夕暮れ。

ワンピースふうの、襟ぐりのところまであるエプロンをしたおばあさんが、こちらをじっと見ている。気のせいかと思ったけれど、目線の高さから察するに、やっぱりまっすぐこちらを見ているように思う。なかなかそんなに迷いなく、他人をじっとひたすら見つめ続けられるものではない。

というわけで、道を教えていただこうと思った。

「三島駅に行きたいんですけど、いま、ここはどのあたりでしょうか?」

と、地図を広げて尋ねる。おばあさんとわたしのあいだに、静かに時が流れる。車が通り過ぎていく音。

「はあ?」

とおばあさんは言う。たぶん、聞こえなかったのかもしれないと思って、もう少し大きな声で同じことを聞いてみる。

「なに?駅?」

「そうなんです、三島駅に行きたいんです」

地図のなかでとりわけ目立っている三嶋大社を指さして、

「さっきここにいたのですけど、いまここはどのへんでしょうか」

わたしとおばあさんのあいだに、はてなマークがお手玉みたいにつぎつぎ浮かびあがって、誰もそれを受けとらない。

おばあさんは心をこめて言う。

「・・・はあ、駅ねえ、どこでしょうねえ、駅は」

ぜんぶのお手玉が地面に落ちて、わたしは潔くもとの道を引き返すことにした。

三嶋大社に戻り、地図を広げてみるも、一旦派手に進行方向を間違ってアサッテの方向への往復に計20分ほどかかった身としては、心を新たに次の道に確信が持てない。

駅はどこでしょうねえ。提灯が灯っている。太鼓の音。はっぴを着た人々。

そしてわたしはようやく、鞄のなかにスマートフォンがあることを思い出した。

GPS機能をオンにして、Google mapをひらくと、いまいるあたりの地図とわたしの位置が登場。範囲を拡大すると、アラ、駅の方向が判明。同時にやはり、盛大にアサッテの方向に突き進んでいたことが正式に確認される。

というわけで(大げさだが)残りの体力をふりしぼり、駅に向かって突き進むことを決意した。いちにち歩き回ってくたびれて、それ以外はなにも考えられない(大げさだ)。

折に触れてGoogle mapを確認しながら進む。それにしても、地図上を移動する “わたしの位置” を示す青い丸印はいいとしても、“わたしの向き” を表す青い矢印が、どうにもわたしの実際に向いている方向とちがう方向を向いているのである。わたしは地図でいうところの左上に向かって歩いているのに、矢印は右上を向いていたり、ともかくあまのじゃくである、と思って、せっかく駅の方角がわかったというのにそれが気になって、歩くことに集中できない。

それで立ちどまって考えて、スマートフォンの向きを変えてみたりなんかして気がついたのは、このGoogle map上にある青い丸印っていうものが示しているのは、“わたし” のいる場所ではなくて、スマートフォンが在る現在地だし、青い矢印が向いている方向は、“わたし” の向いている方角なのではなくて、スマートフォンの向いている方向なのだということだった。そりゃそうだ、と思った。このスマートフォンをここに置いたまま、わたしがひとりで歩いていっても、地図の上の青い丸は動かないのだ。青い丸って、わたしのことじゃないのだった。スマートフォンからしてみれば、わたしは船や車や自転車なのだった。

スマートフォンを、わたしの目線の方に向けると、地図の矢印もわたしとおなじ方を向いた。

というわけで、スマートフォンを持っているだけじゃなく、じぶんと同じ方を向けながら地図を見て歩き、駅前に辿りついた。

ああ、お腹がぺこぺこ。


Written by mariko