ローマから電車に乗ってフィレンツェに着いたのは昼すぎで、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅を出ると、なかなか冷たい雨が降っていた。狭い路地を迷い、駅からなかなか近い距離にあったホテルに最短の3倍くらいの時間がかかって到着する。いかにも、はじめての街に到着したて、という感じである。窓から教会が見える、小じんまりしたホテルの部屋がとても気に入って小躍りしたあと、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局へ行ったり、予約しておいたウフッツィ美術館のオーディオガイドツアー(ヴァザーリの回廊を観るためにはツアーへの参加が必要だったため)に参加したりした。なお、このオーディオガイドツアーの集合場所へ行くのにも迷い、たどりついた場所が事実ガイドツアーの事務所だったために、そこがわたしたちの予約したツアーの窓口ではないということを、薄茶色のすてきな髪の毛をひとつに束ねた眼鏡の女性に戸惑いまじりに伝えられたさいのうろたえはなかなかのものだった。
実際にはたしかその建物のうしろがわの通りに面した二階がわたしたちの予約したツアーの事務所で、階段の昇り口で白いポロシャツを着たアジア系の女性が受付をしており、ガイドの受信機つきのひもをもらって首から下げて待っていると、黒髪の元気なガイドの女性(フィレンツェ生まれのフィレンツェ育ち)が登場し、参加者たちの出欠確認をかねて「どこの国から来たの?」等、初対面のコミュニケーションを図っていた。もちろんわたしたちは「Japan」と告げ、さして会話は進展しなかったが、それで腹を立てる人などいるはずがあろうか。いない。
ツアーは2時間ほどで、とても面白かった。ヴァザーリの回廊においては、現在多くの肖像画が所狭しと壁にかかっているものの、いかんせん本来はメディチ家のためにつくられた秘密の通路であるからして、数百年後とはいえ日本から来ていま受信機を首から下げたわたしがそこをのんきに歩いているという事実が不思議で、終始ふわふわしていた。
▲ヴァザーリの回廊にある窓から見た景色。外からこの窓を見上げてみても、あまり存在感がなく、不思議であった。秘密の回廊の秘密の窓たるゆえんである。
ツアーを終えて、ガイドさんにお礼を言って解散し、大通りに出た。そして大通りでは鳩が顔だけの状態で転がっており、言葉を失うと同時に目をそむけたところ、目の前に”Giannini”、ジャンニニと書かれたお店を見つけた。ジャンニニの紙は日本でも購入することができるが、それにしても、ここが当のジャンニニのお店なのだ!と思うとわくわくして、ほんの少しだけ、首だけになった鳩のことを忘れることができそうであった。
店内には中世に描かれたフィレンツェの街や、鳥、いちじくの木などがあしらわれた、ほんとうにたくさんのメッセージカード、それにノートやラベルやペンなどが木製の棚やガラスケースに並んでいる。もしも自分がいまフィレンツェに滞在していることを暗黙のうちに知らせたい相手がたくさんいる場合には、カード選びに困ることはないであろう。一生かかっても貼りきれないほどのラベルだって、とてもたくさんの種類がある。
接客をしていたのは7代目のマリアさんで、贈り物の包装の相談にのったり電話がかかってきたり、いそがしそうにされていた。壁には、ジャンニニ家の白黒のポートレイトや、カード、切りぬかれたマーブル紙などが額に入って飾ってある。2階はマーブル紙などの工房だそうである。1階の奥も工房となっており、マリアさんのご好意で見せていただいた。瓶に入ったいろいろの絵の具、木版印刷機、製本の道具、アルファベット順に並べられたアルファベットの木版、いろいろの工具、それから棚のうえにのって重ねられたいくつもの木の箱には、中身のことが文字や絵でラベルづけされている。19世紀なかばからある工房で、フィレンツェの古くからの図柄の木版なども数多くあるようだし、どんなふうな整理術が実践されているのか、まったく整理整頓が下手でこまっているわたしは関心を惹かれるとともに、プラスティックでもなく缶でもない、同じ形の古い木の箱がたくさん並ぶさまにうっとりした。
▲これは太陽の顔のメッセージカード。表面にやわらかな凹凸があるので、おそらく木版印刷かと思います。
わたしは太陽やら月やらに顔が描いてあるものが好きです。
これは、工房への入り口のアーチのうえにかかっていた時計。
ねじ巻き時計らしく、ねじ巻きが時計のわきに紐でつるされています。これならねじ巻きがどこにいったかわからなくなる心配はありませんね。
わたしは、いまだねじ巻き時計のねじを巻いたことがありませんので、いつかぜひ巻いてみたいと思っています。
さて、これほど、ねじ巻き、ねじ巻き、と書き綴っているにも関わらず、実際のところ、わたしはねじ巻きの仕組みも皆目わからなければ、「ねじ」がなんであるかということもちっともわかっていません。
こんなにねじ巻きのことがなんだかわかっていないのに、「ねじ巻き」と書いたり声に出したりすることはできてしまうのですから、言葉って怖いものです。
マリアさんに、「フィレンツェに住んでいるなんてとてもすてきですね」と言ったら(そう言うわたしはフィレンツェに来てまだ数時間だったのだが)、何度も来日経験のあるマリアさんは「日本もとてもいいところじゃない」というようなことを言っておられた。
ともかく、飛行機に乗って空を飛び、イタリアへ行ったり日本へ行ったりできることと、ヴァザーリの回廊を、一切メディチ家と関係のないわたしが実際に歩くことができることのどっちが不思議かといえば、ほんの少しだけ、後者のほうが不思議な感じがするのはなぜであろう。
お店の外に出ると、不思議もなにも、きわめて切実な寒さに身が縮み、わたしは半袖の上に七分丈のシャツを着てカーディガンをはおってストールを巻いたが、とうてい太刀打ちできるものではなく、それがその時点でわたしの持っている衣類のすべてであった。5月であったが、ダウンコートを着ている人もいて、またわたしはほんの少し、道の上で首だけになっていた鳩のことを思い出した。