あくびと手のひら

頭の隅に「眠たい」があるのを大いに知りながら起きていて、ひと段落ついたときにふとあくびが出て(どこから何が出たの)、わたしの左の手のひらはあくびの向かい側に広がった。あくびを迎えるように。

ひとしきりあくびを出してようやく、その左手のはからいを不思議に思った。あくびがどういうことかもわからないが、この左手のふるまいもわからない。あくびは眠いときに出るようだ。出ても眠いことには変わらないのだが、出るなら出るで出すがままにするとして(よっぽどの状況でない限り。社会的にあくびは出しちゃいけないときがあるようですから気をつけて)、この左手は何をするために口の向かい側に到着して、投網みたいに広がっているのか。左手のほうからあくびを迎え撃つ何かが出ている気配はない。

あくびをしているときは無防備なので、状況の逼迫加減によっては目もつむり、涙も出る。ふあああああと口を開けているとき、背伸びをしているときのような気持ちよさがあるが、背伸びをしているとき以上に何も、一切何も考えていないような気がする。

あくび中になにかが飛んで来たら、それが口に入る可能性は、普段よりは高い。虫、誰かが投げたボール、矢、雨粒、りんご、毒りんご。

しかし肝心な時に、”本人” はここにいないような状態である。そういうときのために、左手はとっさに口にふたができるよう、ふあああああに夢中のわたしの代わりに現れてくれているのではないか。たとえそれが、見あげても天井と電球しかない部屋の、椅子に座っている最中のことであっても。

あくびが終わると、左手はぱっと顔前からいなくなる。キーボードを打っていたのなら、何もなかったかのようにキーボードの左側担当に復帰しているのである。すぐさま。

わたしはあくびについてやあくびのとき添えられる左手について、今夜は調べない。明日も明後日も調べないでいるつもりだ。

部屋のなかであくびをして、もうしばらくの間、じぶんのなかに勝手に太古を感じていることにする。無防備にあくびをすることが今よりも危険だったかもしれない、いつかの昔のことを。

(みなさんはどっちの手を添えますか?手は添えない派ですか?睡眠は足りていますか)