長崎へ行ったときのはなし(1)

初めて長崎へ行った。

初めて「出島(Dejima*)」という言葉を知ったのはいつのことか。おそらく小学生のころであろう。テストにも出たにちがいない。同じく小学生のころ、ピアノの先生の長崎土産にいただいたのは、”ぽっぴん”。びいどろ、とも言う。空洞になった薄いガラスの球体に、そこからのびる細い管の先をくわえて空気を吹き込むと、球体がぺこんと凹んだり戻ったりする。口はふさがっているのでなにも言えないのだが、そのガラスの球が凹んだり戻ったりするのに合わせ、わたしの頭の中にいるわたしは、初めて覚えた言葉を口にするかのように興奮して「ぽっぴん!ぽっぴん!」と繰り返し叫ぶ。薄いガラスが鳴らすその音は、もう「ぽっぴん」としか聞こえない。脳裏にこんなに自家製「ぽっぴん!」が鳴り響いていることを、知っているのはぽっぴんに口から空気を吹き込んでいるに過ぎない、傍目には静かなわたしである。そして空気を吹き込むのをやめ、ぽっぴんを置いてもなお、しばらくのあいだ、わたしのなかのわたし(推定5歳)は「ぽっぴん!ぽっぴん!」と叫びまわるのをやめない。ちゃんぽんは好きだし、カステラも大好きで、しかし例によってあまりなにも知らないままに、長崎へ行った。

端的に言うと、出島は陸にくっついていた。市電に乗って “出島” という駅で降り、さて島はどこかな、ときょろきょろしてみたところ、目の前にある門の先がもう出島である、ということであった。そのとき、わたしとその門との間に川とか海とかは横たわっていなかった。”島” が、島じゃない、という現実は、なかなかに頭を混乱させる。「島っていうけど、島じゃない!」と、例によって「ぽっぴんぽっぴん」叫ぶ系のわたしのなかのわたしが言うので、「本当だよね。不思議だね」と相槌を打つ(ひとまず相槌を打てば、彼女は満足そうにするのである)。歴史の移り変わりにより、周りが埋め立てられて陸続きになった出島に、わたしは510円を払って入る**。出島の役人でも、出入りの業者でも、東インド会社のオランダ人に雇われた料理人でもないが、わたしはお金を払って雨降る出島に入る。検問もなし。日本が鎖国していた江戸時代、外国との貿易のほとんど唯一の窓口であった、人工の島。

歴史の授業において、「出島 (Dejima) 」という言葉のポップさ、覚えやすさは群を抜いていると思う。一位かもしれないと思うが、どうだろうか。「埴輪」「生類憐みの令」「東海道中膝栗毛」などは、音は覚えやすいがむつかしい漢字が混じっているし、競るとしたら「土器(Doki)」あたりか。まあそれは人それぞれによるものだからよいとして、少なくともわたしにとっては「出島」はたいへんにポップであった。「まじ出島 (MajiDejima) 」というフレーズを言う小学生たちがいたことからも、そのポップさぶりがうかがえる。そしてそのポップさゆえに、わたしは完全に出島のことを知ってもいないのに知ったような気になっており(「ああ、出島ね!」的な)、例によって、そんなことがあるわけはなかったのである。わかったような気になる危険というものは至るところに潜んでいる。わたしはQUEENのボーカリストであったフレディ・マーキュリーさんのことを話すとき、「フレディが」とか言っているが、彼に会ったこともなければお話したこともないのはもちろん言うに及ばず。コーヒーを飲みながらその話に耳を傾けている相手が、「あなた、会ったこともないのにずいぶん知ったようなことを言うのね」と(思っていても)言わないのは、フレディがスターだからである(その人が優しいからでもある)。出島にせよ、フレディ・マーキュリーにせよ、スターというのは、会ったこともないまったく知らない膨大な数の人々から、知ったつもりになられているのだろう。

出島にいるあいだ、「出島にいるんだなあ」と思っていた。ローマでコロッセオに行ったときも「コロッセオにいるんだなあ」と思っていた、あの気持ちと似ている。時代が違えばわたしは出島に入ることなんてできなかったであろうし、コロッセオに行くこともかなわなかっただろうし、歴史界のスターである出島さんやコロッセオさんにたどり着き歩いているというこの現実に、気持ちはふわふわするばかり。

外国からここに運ばれてきた貴重な砂糖が日本各地へ運ばれて朝廷、幕府や大名たちのお菓子に用いられ、日本各地から運ばれてきた銅や陶芸品は船に乗って外国へ旅立っていた。時代が移り変わって砂糖が普及し、大名とはなんの関係もないわたしが、カステラやおまんじゅうをもぐもぐ食べられることの幸せ。繰り返すが、大名でもないのに!ついでに言えばクッキーやアイスクリームやケーキだって食べたりしています。大名でもないのに!

2階がオランダ商館長(カピタン)のおうち(復元)。
逆V字の階段は左右どちらからでも上がれます。
商館長のおうちの中。あっちもこっちも柄、柄、柄。

*出島内に展示されていた、かつての出島の姿を描いた図には「DESIMA」(ケンペル著『日本誌』)、「DEZIMA」(シーボルト著『日本』)と書かれていた。デジマでありデシマでありデズィマでもある出島。

**2017年に掛けられた出島表門橋を渡って出島に入る方法もある。
―そもそも今のところ(あとから知ったことですが)出島に入る方法は西と東(陸続き)と表門(中島川にかかる橋を渡る)の3種類あります。どこから入ってどこから出ても自由です。