試着、朦朧、小籠包

【台湾のノート】試着、朦朧、小籠包

『惠中布衣文創工作室』は、台湾の服飾デザイナーである鄭惠中氏のアトリエであり、お店も併設されている。こちらの服を日本の雑貨やさんで試着してみたことがあり、綿と麻でつくられたやわらかい生地で、リラックス感のある着心地、という印象だった。台北市内から隣の市にある『惠中布衣文創工作室』には、地下鉄とバスを乗り継いで向かう。色とりどりの服が並ぶ様子を想像して心躍る。

パンダバス
進行方向とは逆を向いた椅子もあるバス。

パンダだらけのバスを降り、通りを間違えたりしながらお店へたどり着くも、玄関の扉を開けても中はしーんとしていて、ほんのり不安になる。中から店員さんが出てきてくれ、ほっ。二階へ案内してくださる。二階と三階には、背の高い棚が並び、図書館のような雰囲気。それぞれの棚には色とりどりの服。ながーいスカートやずぼん類は吊るされ、シャツ類は畳まれ収まっている。

お店の二階


棚の陰などで自由に試着して(特に試着室のような区切られたスペースはない)、窓辺にある姿見へ向かう。フロアに姿見が一つしか無いことにより(記憶違いでなければ)、スカートを履いてみた人もシャツを羽織ってみた人も、ストールを巻いてみた人もみなその窓辺へやって来る ― 貴重な鏡。おかげでいろんな恰好が見られ、発見がある。「それ、いいですねえ」と褒めていただいたり、褒めたり。

スカートの試着

とにもかくにも工房に併設されているがゆえ、服のヴァリエーションときたら途方もなく、渋い色を着てみたり明るい色を着てみたり、同じ系統の色でも一着ごとに濃淡は少しずつ違うし(染料を無駄にせぬよう、限界まで染めるという作り方のため)、持っている服との組み合わせをイメージしてみたり、足の長さがどうにも足りずに履けないスカートなどもあるなか、あれやこれやと選んでいるうちに、気温も手伝って、朦朧としてきた。そうしているうち地震がやってきたので、その揺れがはじめは地震ではなくて、じぶんの朦朧症状による足元不如意の “ひとり揺れ” だと思った。数秒のあいだ、薄暗い店内から明るい中庭の緑を眺めてぼーっとなっていたが、いやはやこれはどうにも建物が揺れているようだし、ほかのお客さんや店員さんも驚いている。これ、地震だな。

色の洪水


棚はがたがた音をたて、 揺れはわりあい激しく、 長く続いた。朦朧の反動なのかなんなのか、急に忍者風味に機敏になったわたしは荷物を持ち(効果音をつけるとしたら、”シュパッ” という感じ)、階段を下りて建物の外へ出ようとしたが、いやはやこれがだれもついてこない。ほかのみなさんは揺れつつも冷静で、服を畳んでいた店員さんは「この前も地震あったからねえ」「だいじょうぶ、だいじょうぶ」みたいなことを、どちらかといえば、ほがらかに言っている。そうこうしているうちに揺れは収まり、外に出るも何も、わたしはまだ一着も選んでいないのだった。さっきまでいた朦朧氏も、あれこれ試着して喜んでいた浮かれ氏も、わたしを置いていなくなってしまった。残るは、動揺氏および不安氏。


服を選び、二階でお会計をし、出していただいたお茶を飲む。窓辺と反対側のテーブルのところに鄭惠中氏がいて、打ち合わせをしておられる。わたしは動揺氏および不安氏と共にいたために、主として余震のことが終始気になっており、 そわそわ落ち着かない。浮かれ氏不在のため、お茶の味も、お茶がどんな器に入っていたかすら覚えていない。台北の震度は4で、震源地は東部の花蓮県であるということだった。


建物を出ると、さっき三階にいた店員さんが庭に座っていて、スマートフォン片手に「地震の影響で電車が停まっている」ということを親切に教えてくださる。駅まで戻り、混雑したバス乗り場でずいぶん待って台北市内行のバスに乗って帰った。動揺氏と不安氏は、その日の19時ころまでずっと一緒だった。そして次の日の朝も一緒に起きたのだった。

お庭のバラ
アトリエの玄関へ続くお庭。
地面及び植物に接して心を整えようとする筆者。
ブーゲンビリア
ブーゲンビリアその2

駅
【暫停使用】と書かれたプレート。地下鉄の改札へ続く扉は閉ざされている。

晩ごはん(小籠包)
これは19時ころの様子です。小籠包ってなんておいしいのでしょう。