女の子がお母さんとバスの一番後ろの席に乗っていて、
「いまは三時間目かな」
「三時間目は何の時間?」
「今日は英語の時間」
と話すのが聞こえてきた。
風邪か何かで病院へ行き、
学校に通っていたとき、休んだ日はわたしもそんなふうだった。
「学校でのいつもの(ルールに沿った)わたし」と「 お休みして家にいる(自由ーだけど熱はある)わたし」 を照らし合わせる度、平日昼間の特別感が染み入る。 それが五時間目くらいになると魔法が解けて、ああもうすぐみんな家に帰るんだなと思う。宿題を持って。あんまり考えたくはないけれど、わたしは明日学校へ行くんだろうか。熱は下がりかけているんだろうか、いま。あんまり測りたくない。
今日の三時間目は英語の時間か、と思いながら、 まあそうかもしれないけど、何の時間でもないよなとも思った。 そもそも。
「途中から教室に行くから緊張してるね」とお母さんが言うと、 女の子は「ウン」と答える。彼女の見ている窓の外には、 自分のいない教室の、先生とみんなの姿が映っているのだろう。 わたしもすこし緊張した。
それでもほんとうは、何の時間でもないし、 何の時間でもいいのだ、と思う。学校の、今日の三時間の授業が、 英語、というだけで。
制服を着て帽子を被って紺色のランドセルを背負った女の子は、 お母さんとバスを降り、窓の向こうの道を歩いて行った。口を結んで、 頬のところに緊張があった。
あの口が開いて、クラスメイトに「 おはよう」とか「今日病院に行ってきたから遅くなったの」 とか言うのを想像して、偉いなあと思った。