三時間目(日記)

女の子がお母さんとバスの一番後ろの席に乗っていて、

「いまは三時間目かな」
「三時間目は何の時間?」
「今日は英語の時間」

と話すのが聞こえてきた。
風邪か何かで病院へ行き、学校へは遅刻するけどこのあと行くみたい。

学校に通っていたとき、休んだ日はわたしもそんなふうだった。
テレビのある部屋に敷いてもらった布団に寝て、いつもは見られない時間のNHK教育テレビをー特に面白いとも思わずにー眺めながら、時々時計を見る。12時すぎたら給食、午後1時頃からはお昼休み、それから掃除、、、掃除時間の始まりを告げるのは、カーペンターズの “Top of the world” だった。
 
「学校でのいつもの(ルールに沿った)わたし」と「お休みして家にいる(自由ーだけど熱はある)わたし」を照らし合わせる度、平日昼間の特別感が染み入る。それが五時間目くらいになると魔法が解けて、ああもうすぐみんな家に帰るんだなと思う。宿題を持って。あんまり考えたくはないけれど、わたしは明日学校へ行くんだろうか。熱は下がりかけているんだろうか、いま。あんまり測りたくない。
 
今日の三時間目は英語の時間か、と思いながら、まあそうかもしれないけど、何の時間でもないよなとも思った。そもそも。
 
「途中から教室に行くから緊張してるね」とお母さんが言うと、女の子は「ウン」と答える。彼女の見ている窓の外には、自分のいない教室の、先生とみんなの姿が映っているのだろう。わたしもすこし緊張した。
 
それでもほんとうは、何の時間でもないし、何の時間でもいいのだ、と思う。学校の、今日の三時間の授業が、英語、というだけで。
 
制服を着て帽子を被って紺色のランドセルを背負った女の子は、お母さんとバスを降り、窓の向こうの道を歩いて行った。口を結んで、頬のところに緊張があった。
あの口が開いて、クラスメイトに「おはよう」とか「今日病院に行ってきたから遅くなったの」とか言うのを想像して、偉いなあと思った。