夏のプレゼント

 

去年、夏にアメリカへ行った人にアメリカの色鉛筆(メキシコ製)を買ってきてもらった。箱に入った全色セットだった。100本以上。箱の中にさらにケースが入っていて、それぞれに色が並んでいる。青のグラデーション、緑のグラデーション、黄色やオレンジのグラデーション、赤の、茶色の、灰色の・・・。その様子に見とれ、一本一本を引っぱり出すどころではなかった。

色鉛筆を買った画材店のチラシも貰った。当然ながらすべて英語で書かれているが、普段使っている別の色鉛筆や水彩紙たちが載っていて、カラーでつるつるの紙にプリントされたそれらのイメージがどうも身近な知り合いという感じがし、太平洋沿いのこちらの日常と大西洋近くのあちらの日常の距離が無いような風に思われておもしろい。

眺めているだけで数日が経ったのち、すでにバラで持っていた色もあったから、持っている色と全色セットとをじーっと見比べ、重複するものはより分け、別に保管した。両手で持ちきれないほどの本数だから、芯の色を示す軸どうしの色もそっくりでほとんど見分けがつかないのもあるし、蛍光色もあれば、ポキッと折れやすい色もある。記念に手帳に色のリストをつくり、番号と名前を記す。そして絵を描いた。椅子に座らず床に座っていつもと違うテーブルで描いた姿勢のせいか、夢中になりすぎたのか、色鉛筆とはぜんぜん関係のない理由なのかなんなのか、わからないが、夏の終わりにわたしはずいぶん久しぶりに熱を出し、ひどく咳も出て、寝込んだ。

治りかけのころ、また描いた。
全色セットを貰って、それはそれは嬉しかった。線を引いたり色を塗ったりすればする度に、嬉しいなあきれいだなあ楽しいなあ面白いなあが次々と、さやから出てくる枝豆一粒一粒のように光って瑞々しく見つかるのだった。それで、こんな風な気持ちの種を誰かに届けることができるとしたら、それがプレゼントっていうものなんだろうな、と思った。喜びは、既にそこにあるっていうよりも、出てくる。ぷるんと、じわじわと、しみじみと、ふわふわと、ぴょんと、ひょっこりと。
 
 
空間の極めて限られたスーツケースの中に、あんなに大きな箱を入れてはるばる持って帰ってきてくれたことに感謝である。