すごーく高価なものを買ったわけではないのですが、大小いろいろと買い物はした。その際興味深かったのがラッピングである。
・Firenzeと元気よく書かれた白い袋は、おそらくポストカードを買った川沿いのお店のものかと思われる。
曖昧な記憶にたよるしか、手掛かりはない。
・ペイズリー柄のセロハンテープ留めのものは、ガラス職人の島:ムラーノ島にて贈り物のブレスレットを購入した際の袋。
「これはプレゼントなんです」と申告したところ、
赤茶色の髪をしたレジの女性はウィンクまじりに「ええ、わかったわ!」という感じの対応をしてくださり、
その後まもなく、セロハンテープ留めされた薄手のペイズリー柄の袋があらわれた。
日本にてちょうどよい大きさの箱を買い求め、リボンをかけてラッピングをしなおして贈ったため、今この袋がわたしの手元のあるってわけです。
・ペイズリー柄は、ベネツィア本島にてガラス細工のペンダント・トップを2点購入した際にも登場した。まったく同じ柄の袋である。
ただしこちらは、お店の名前・住所が入ったシールつき。シールの貼り方としては、堂々とさかさまであった。中には、生産地の保証書入り。
1点、お土産にするほうについては銀色の小さな巾着袋に入れてから、同ペイズリー柄の袋に入れて渡してくれた。
徹底的にペイズリー柄であります!あくまでも、ペイズリー柄+α。
なお、銀色の巾着袋については、紐が2重でひとつ結びとされていたので、贈る際にはりぼん結びに直した。
・蓋が、従来の折り目よりも上の位置で折り曲げられた封筒は、ウフィッツィ美術館出口付近の郵便局で切手を買った際のもの。
ファイルを見ながらほしい切手を申告すると、カウンターの向こうにひとり座った女性が取り出してくださるのだが、種類が多すぎて困った。
そういう人はおそらくわたしだけではないらしく、「予算を言ってくれたら、こちらでおすすめのものを選びますよ」とのこと。
とっさに「6ユーロ」と、よくわからない値段が口から飛び出す。一切の根拠なし。
6ユーロの申告予算に対し、「ふうむ、、、」という感じで、女性はファイル片手にピンセットでひょいひょいと切手を見つくろってゆき、わたしはそれをじっと見つめながら時々「あ、これほしい」等、次のページにいまにもめくられそうなところの、今開かれているページを素早く指さす。
ボッティチェリの絵の切手を指した際、その女性は「えっ、これ?これは、なんってことないやつよ・・・あなた、本当にこれがいるの?」と不満そうであった。どうやらそれは記念切手のたぐいではなく、通年いつでもどこでも入手できる切手のようである。とはいえ、日本では買えないではないですか!使えもしないですけど!
そうこうしているうちに選別が終わり、「はい、これで6ユーロ分よ」と見せられるも、いつの間にか若干好みではない渋いものが混じっていたため、除外して頂き、一部選び直した。その際、ゆるやかに予算をオーバーしていったのだが(150円くらい)、
「あなたが6ユーロって言ったから・・・(わたしが選んだのに、選び直すって何よ)」という具合に、わかりやすくぶつぶつ言っておられたのが印象に残っている。店員さんに面と向かってぶつぶつ言われる体験は新鮮であります。でも、いくら予算の範囲内といったっていらないものはいらないのだ。
なお、たいへんうつくしい、刺繍の切手シート(切手自体が刺繍)はずば抜けて高額だったため、許可をいただいて写真に収めるに留めた。
▲いま見るとかなりいまひとつの写真ですが、切手自体が刺繍であります。ガラスに写り込む手は筆者。
・LOVEとハートマークがひたすら書き連ねられている薄紫の袋は、ローマの街角でピンバッチを買ったお店のもの。アラブ系の店員さんとこのファンシーな半透明袋の取り合わせがユニークでした。なんだか小さかったころに一度は見たことがあるような感じです。ピンバッチが売れるたび、LOVEは拡散されてゆくしくみ。
▲土台には MADE IN ITALY が無限リピート。ピノキオの服は国旗カラーさ。
ため息の役割ってどんな風だろう、と思うきっかけになった、パン屋さんでの出来事。
フォカッチャとアップルパイを買ったところ、ひとつずつ白い紙袋に入れてくれたが、かばんに入れて持ち帰るあいだに油が染み出すのがいやだったので、ビニール袋に入れてくれるようお願いした。ビニール袋が有料なことももちろん承服している。
その瞬間、店員さんから明朗に吐き出される、ため息ってやつ。ハーーーーッ。
手に持って帰りなさいよ、ないしは、かばんのなかに油が染み出すくらいなんだっていうのよ、ないしは、いますぐ食べるんじゃないの?あるいは、これに加えてもう一動作が面倒くさい、または、そもそもいまたまたまのタイミングで口から息(Co2)が出た。
いろいろ考えてみたけれども、なにしろ本人に尋ねなかったのでわからないままだ。
ため息の役割は、わたしの知らないところで無数のバリエーションで存在しているのかしら。
ホテルに帰って食べたフォカッチャは、また明日も食べたいくらい、とっても美味しかった。
美味しかったし、そしてまたため息のことも思い出したのであった。