ちかごろわたしはつっぱるのに夢中で、長いの短いの十数本の突っ張り棒を家のあちこちにつっぱった。

無事につっぱれた棒には、丸めたいろいろの紙(いつかなにか描いたり切り抜いたりするはずの)を載せたり、掃除道具をつるしたり霧吹きをひっかけたり、なんとなく捨てられない紙袋たち(減らしてもまたどこかからあらわれる)を入れた紙袋を載せたりした。ひょっとすると、役目のないただの棒であるだけのものも一本くらいはあるかもしれない。そもそも二度と役目のないものを載せているということもあるかもしれない。

左右か、奥と手前か、ともかく両側に壁があり、そのあいだに空間があれば、突っ張り棒をつっぱりたくていてもたってもいられず、メジャーでその幅を図ってさしあたりメモ帳に記しておく。そのメモを忘れなければ、たまたまお店のなかで突っ張り棒売り場の前にやってきたときに苦悶せずにすむのです。

 

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このごろは、街を歩いていてお店の外壁に凹みを見つけたりすると、「ここに突っ張り棒をつっぱったらよいんじゃないだろうか、間は何センチだろう」だなどと一人勝手に空間コンサルタントになってしまっていることさえある。そのうち間空間有効化シンドロームが進んで、じぶんではいいと思っているけれど誰かうちへ来た人がそのあまりのやたらめったらのつっぱり様にぞっとすることもあるかもしれない。本人はつっぱったのち、折に触れてその現場(クローゼットの中やシンクの下など)を訪れて悦に浸っているだけなので気がつきようもない。今朝すでに一度悦に浸っているのだし。

もうひとつのシンドロームは、ぶら下げである。突っ張り棒への希求とS字フックなどに代表されるぶら下げへの渇望は、「ものを浮かせたい」という点において通ずる。そして浮かせたものを見たときのわたしの胸にひろがる幸福感といったらない。ものを浮かせてその浮いている様子を眺めて満足するこの症状の理由はよくわからない。わたしはじぶんが浮きたいのだろうか。

 

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Written by mariko