2013-06-03


小学生のとき、確信をもっていたことは、鏡の向こう側に自分とまったく同じことをしている人がいる、ということだった。

しかもなぜかその確信は、スーパーマーケットの生鮮食品売り場の棚の鏡を見るときにだけ、やってくるのだった。

魚や野菜や牛乳の売っている、冷え冷えした棚のところでだけ。

鏡の向こう側の世界で、わたしと全く同じ時間に買い物に来た誰かが、いまわたしがこうして鏡を覗いているのと全く同じように向こう側にあるスーパーマーケットで、鏡を見つめている。

そしてそれはわたしとは全然違う誰かなのであって、もうひとりの別の世界に住んでいるところのわたし、というのではなかった。

ボーダーシャツの少年かもしれないし、若い女性かもしれないし、禿げ上がったおじさんかもしれなかった。

ただ、その誰かが、たまたま、いままるきりじぶんと同じようにあちらの世界の鏡を覗き込んでいるのだ。

魚を買いにきたのかもしれないし、わたしのように親にくっついて来ただけなのかもしれないし、ふと自分の顔が気になったのかもしれない。鼻歌を歌っているかもしれないし、何か悩み事があるのかもしれないし、もう帰るところなのかもしれない。

でも、いまのわたしとまったくおんなじように、世界のどこかでいまこうやってスーパーマーケットの鏡を覗きこんでいる誰かが、“あちら側に”いる、という確信は、わたしをしっかりと支えてくれるような気がしていた。

その確信はいつの間にかどこかからやってきて、いつの間にかどこかへ行ってしまった。


Written by mariko