冬のコートを試着してみたら、鏡に映る様がペンギンのようだった。
「ペンギンみたいですね」
とわたしは言ったけれど、それは “ひとりごと” ということになって、店員さんからの相づちは返ってこない。
言葉から連想するイメージっていうのは人それぞれで、もしもわたし(客)がペンギンのことをあまりよく思っていなかったとしたら、店員さんが「そうですね、おっしゃる通り、ペンギンみたいですね!南極に行ったら会えますね!」という具合に明るく同意をしてはならない、と判断するのが、職務遂行上差しさわりがなく賢明であろう。無邪気さ要注意。コートを着た客が、「わたしがペンギンみたいですって!?魚ばっかり食べちゃいないわよ」って怒ってしまっては大変だ。店員さんがペンギンのことをよく思っていない場合 ー小さいころからペンギンの大群が夢に出てきてうなされていた等ーも、口をつぐむであろう。
いっぽう、わたしはペンギンのことにはとても興味があるし、動物園や水族館でペンギンを見るのは、ゴリラに次いで好きである。
そしてこの場合の「ペンギンみたい」という発言は、なんの変哲もない。浮かれも不満も良いも悪いもなく、いちおう断っておくと「ペンギンみたいにかわいい」ということでもなく、コートを着た様(フォルム)がほんとになんともペンギンのようだったのである。
わたしはコートを脱ぎながら、「横の部分にスリットが入っていて動きやすいですね」と言い、「そうなんです。スリットがあって動きやすいつくりなんです」と店員さんがこたえ、ふたりはまるでペンギンなんて言葉は存在しないかのようにふるまって、柄のことやら色のことやら素材のことやらを話題に追加したのだった。
それから店員さんはコートを元の場所にかけなおし、わたしは細密な絵柄の編まれた靴下を眺めたりして店を出た。
15分後くらいに、エスカレーターに乗っていたときのこと。なかば無心に立っていたわたしの目の前に、ペンギンがあらわれた。エスカレーターの二段ほど上に立つ人の紙袋に描かれたペンギン。白い紙袋の真ん中に、一匹。
黒か濃紺の線で描かれたペンギンの身体には、ボタンが4つほど並んでいた。ボタンだ、、、なにか着ているんだ、、、と思って目で追いかけたけれど、二足先に次の階に到着した袋の持ち主がエスカレーターを降り、ペンギンも一緒に行ってしまった。
ともあれ、おそらくペンギンは何かを着ていたのだろうと思う。チョッキかもしれないし、シャツかもしれない。
そしてこれが、神さまからの相づちのように思われた。さっき宙に浮いたわたしの発言への。
「ペンギンみたいですね」
「そうじゃのう。ペンギンみたいじゃの。ふぉふぉ。」