鳥散歩(日記)

トイレットペーパーが店先から消えた日、空は晴れて暖かく、蛍光黄緑と蛍光緑の身体の、先の丸まった赤いくちばしの、尾が長く、鳩くらいの大きさの鳥が二羽、川沿いの桜の木の枝にいて、熱心に桜の花をちぎっては落とし、下の川にはたくさん桜の花が浮かんでいた。ヒトであるわたしたちが近づいても、気にならないのか気づいていないのかわからないが、飛んでいこうともせずに、まるで無心に桜の花をくちばしでちぎり続けている。同じ木の上の方に、めじろがいて、そちらの二羽は枝先をあっちこちピョンピョン移動して桜の花の中に顔を突っ込むのを繰り返していて、おそらく蜜を吸っているのかしらと思った。それでたぶん、その下の段にいるこの二羽の鮮やかな鳥も、桜の蜜を吸っている、ただし吸い方がめじろとは違って桜の花ごとちぎるスタイルーなのかと考えた。

友人が「インコじゃない?」と言う。割合大きいのでわたしは「オウムじゃない?」と言うが、言いながら、事実インコもオウムも大した区別はついていないのだった。「どこかから逃げてきたのかな」と二人でgoogleで検索している間も、インコまたはオウムまたはそれ以外のなにかの鳥は、二羽で眼前で動じずにひたすら桜の花をちぎり続けている。見かけて驚いて調べる人が多いのか、全然苦労せずに、その鳥の種類は判明し、ワカケホンセイインコという名前で、オスは首の周りに黒い輪のような模様があるとのことで、まさに桜の枝の一羽はそうであった。彼らは1960-70年代に、ペットとして輸入された外国(インドやスリランカやパキスタンあたり)の鳥で、逃げたり捨てられたりした結果、日本で野生化した、というようなことが書いてある。いまや自由に暮らしているわけだから、町で見かけても基本的には飼い主を探す必要はないようだ。「そうなんだ」と言ってスマホから顔を上げ、二人でまた鳥を見る。桜の花は次から次へと川に舞い落ちて溜まってゆく。いい気がするかどうかでいうと、あんまりいい気はしない。延々とむしられる花が気の毒に見えるのだ。むしらずに蜜を吸う(もし吸っているのなら)方法があるんじゃないかと思ったりする。そうは言っても、えらそうに。基本的にはヒトが何か言うのはだいたいえらそうなのだ。排気ガスやらプラスティックごみやら山を削ったり農薬やら石油の流出やら食べられるものを破棄したりそのほか数えきれぬほど、「桜の花をむしって」生きている(ーもちろん、そうじゃない生き方をしているヒトもいるのでしょう)。なぜか、人間の場合は良い、ということになっているみたいなのだ。不思議。
ワカケホンセイインコが籠の中から出て市中で暮らし始めて4、50年経っているわけで、50年前この世に影も形もなかったわたしが、なにか知ったようなつもりになって桜の木の味方をし、彼らの行動に眉をひそめるなんて、なんてえらそうなんでしょう。
 
あれから数日経ち、トイレットペーパーはまだ町から消えたままだ。なんのかんのと言ってえばってみても、トイレットペーパーがなくちゃ、困るのだ。あの鳥たちは困るまい。めじろもオナガも鳩もワカケホンセイインコも。